自身の人生に残された時間が限られているとわかったとき、最期を自宅で迎えたいと答えた人は43.8%で、病院や施設を選んだ人をいずれも上回る(*1)。
しかし、その願いがそのまま叶うとは限らない。
とりわけ地方では、その隔たりはいっそう大きくなりやすい。
京都府北部の宮津・与謝地域は、都市部より一足先に高齢化を経験してきた土地である。
「今出クリニック」は、内科・泌尿器科・皮膚科・老年内科を掲げながら、この地域で在宅医療と看取りを長く支えてきた。
院長を務めるのは、泌尿器科を専門としてきた今出陽一朗医師。
開業後は、高齢者を全体として診る老年内科をライフワークに据え、一人の開業医では抱えきれない24時間365日の看取りを、地域全体の仕組みへと作り替えてきた。
この地域で、人が最期まで自分らしく過ごすために、何ができるのか。
その歩みと考えを伺った。
*1:厚生労働省「令和4年度 人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」結果概要(第99回社会保障審議会医療部会 資料)。一般国民で、回復の見込みがなく約1年以内に最期を迎えると考えたとき、その場所を「自宅」とした割合が43.8%(医療機関41.6%、介護施設10.0%)。
「医は仁術なり」を、思いやりのある医療と訳す

─はじめに、今出クリニックの理念について教えてください。
今出:基本にあるのは、「医は仁術なり」という、誰もが知る古い言葉です。
これを開業のときに私なりに解釈し、患者さんにもわかりやすい言葉へ置き換えたのが、「思いやりのある医療」でした。
内科、泌尿器科、皮膚科、老年内科を通じて、患者さんやご家族に憩いを感じていただける場をつくる。
それを診療の土台に置いています。
─泌尿器科を専門にされてきた先生が、開業を機に老年内科へ力を注ぐようになった背景をお聞かせください。
今出:私が開業した2005年当時、この地域の医療は、中核病院である与謝の海病院と開業医とが、比較的うまく連携できていました。
一般的な病気は開業医が診て、専門的な治療は与謝の海病院が担うといった形で、外来の診療についてはその役割分担が地域のなかで十分に機能していたと思います。
ただ、通院が難しくなった患者さんへの在宅医療となると、事情は別でした。
当時は多職種の連携が十分には整っておらず、在宅をどう支えるかという問題が、開業医一人ひとりの肩にのしかかっていたのです。
そこで強く意識したのが、一つひとつの臓器や病気ではなく、その人を全体として診る医療の必要性でした。
私はそれを老年内科と呼んできましたが、当時はまだ総合診療科という言葉が一般的ではなく、のちにそう呼ばれるようになる領域に近い考え方だったといえます。
勤務医を続けた先の第二の人生として、泌尿器科だけでなく、この老年内科にこそ力を注ぐ。
開業は、私にとってその決意を形にする場でもありました。
47歳の開業、地域医療を絶やさないための選択

─2005年の開業には、地域の事情が深く関わっていたと伺いました。当時の状況と、開業のきっかけを教えてください。
今出:直接のきっかけは、地域の要のような存在であった開業医の先生から、声をかけていただいたことでした。
その先生は、1976年にこの地域で初めての特別養護老人ホームを開き、社会福祉法人北星会を率いてこられた方です。
当時、この地域では開業医の高齢化が進んでいました。
後を継ぐ医師がいないまま診療所を閉じる例もあり、地域医療が立ち行かなくなるのではないかと、その先生は強い危機感を抱いておられました。
なぜ私に声がかかったのか、そこには私の経歴が関係しています。
当時私が籍を置いていた与謝の海病院は、大学から医師が派遣される病院でした。
多くの医師は2〜3年、医長でも5年ほどで大学へ戻っていくような、地域医療を学ぶ医師の登竜門のような位置づけでした。
しかし私は、この病院に腰を据えたいと考えていました。
学生時代、夏の自主研修でここを訪れたとき、地域の医師が総出で救急患者を診ている姿に、強く心を動かされました。
ずっと大学にいた私が地域医療に携わりたいと思うようになったのは、このときの経験からです。
そして卒業の際、教授に願い出て、初代の泌尿器科医長としてこの病院に赴きました。
その後も「このままずっと与謝の海病院にいさせてください」と教授にお願いし、いずれは医師のいない地域に移って、住民の方々とともに地域医療を続けるつもりでいたのです。
ですから、あの先生も「今出ならこの地に残る」とご存じで、話が私のところへ来たのだと思います。
─大学に残る道もあったなかで、開業を決断されるまでの経緯をお聞かせください。
今出:とはいえ、すぐに首を縦に振ったわけではありません。
お話をいただいたのは、私が44、45歳の頃でした。
当時はまだ大学の講師として、京都北部の手術を数多く引き受けていた立場です。
地域に腰を据えるのはもっと先のことと思い描いていたので、「あと10年後であれば」と、一度はお断りしました。
それでも、このままでは地域の医療が立ち行かなくなるという先生の思いが、頭を離れませんでした。
最後は、この地域の医療を絶やしたくないという気持ちが勝り、予定を早めて開業を決意したのです。
大学の教授に開業を相談すると、はじめは「すぐに後任は見つからないから難しい」と言われました。
それでも私は、毎週の教授回診や手術カンファレンスのたびに、繰り返しお願いを続けました。
許しをいただけたのは、結局3年後のことでした。
こうして2005年、47歳で今出クリニックを開きました。
建物は新たに建て、形のうえでは医院の継承ではありません。
それでも、あの先生が長く診てこられた患者さんの多くが、私のところへ通ってくださいました。
地域の医療を次の世代へつなぐという先生の思いを、引き継がせていただいたのだと受け止めています。
岡山の山あいで過ごした少年時代。地域医療の原風景

─先生のご出身と、少年時代を過ごされた土地について教えてください。
今出:私の出身は、岡山県の北部です。
鳥取と兵庫に接する、山あいの土地でした。
ふり返ってみると、私が診療する宮津・与謝と、どこかよく似た環境です。
町には、町立の病院が1つあるきりでした。
そこには岡山大学から若い医師が来て、診療にあたっていました。
─その土地での経験が、宮津・与謝での診療にどう生きているのか、お聞かせください。
今出:当時、病気になった人たちは、ずいぶん不自由をしていました。
手術が必要となれば、岡山大学まで出向かなければなりません。
身近に医療が届かない土地で人が心細さを抱える姿を、子どもの頃から見ていたのです。
ですから、のちに与謝の地に来たとき、地域医療にはほとんど違和感がありませんでした。
かつて見た岡山の風景と、目の前の土地が、自然と重なって見えたのです。
医療が身近にない場所で、人がどれほど心細い思いをするか。
それを肌で知っていることが、私が地域医療に身を置く姿勢の、根っこにあるのだと思います。
薬の山を前に、「全体を診る」かかりつけ医へ

─与謝の海病院で泌尿器科を担っておられた頃に、高齢者医療の課題に気づかれたと伺いました。当時感じられたことを教えてください。
今出:もともとこの地域は、全国を大きく上回るほど高齢化が進んだ土地です。
高齢化率は、およそ4割にのぼります(*2)。
ですから、与謝の海病院で泌尿器科の手術を担っていた頃も、外来でお会いするのは年配の患者さんが中心でした。
なかには、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、整形外科と、いくつもの科をかけ持ちし、抱えきれないほどの薬を持って来られる方もいらっしゃいました。
のちにポリファーマシー、いわゆる「多剤併用」と呼ばれるようになる問題です。
各科の先生は、それぞれの専門の立場から、適切に薬を処方しておられます。
ところが、その人を一人の全体として見たときには、薬がいくつも積み重なってしまいます。
一つひとつの病気を診るだけでは、立ち行きません。
その人を全体として診る視点が要るのだと、外来の現場で痛感したのです。

─かかりつけ医として、患者さんとどのように向き合っていらっしゃるのか、お聞かせください。
今出:かかりつけ医の役割は、その人の病気だけを診ることではないと考えています。
暮らしの様子や、介護がどれくらい必要かといったことまで含めて、その人そのものを見る姿勢が大切です。
たとえば、複数の科にかかって薬が積み重なっている方には、それぞれの専門の先生と相談しながら、減らせる薬があれば少しずつ整理していきます。
そして、通院が難しくなってきた段階で、かかりつけの私が総合的に引き受けていきます。
幸い、この地域では病院と開業医の関係が良好で、こうした連携が自然に成り立っています。
それぞれの病気を担うのは、各科の専門の先生方です。
私たちかかりつけ医は、その人の暮らしそのものに寄り添っていく。
そうした役割分担で、この地域の医療は支えられているのだと思います。
*2:内閣府「令和7年版 高齢社会白書」によると全国の高齢化率は29.3%、当該地域の高齢化率は2026年5月インタビュー時点、今出クリニック調べに基づく。
2回目の訪問で、人生会議を切り出す

─在宅の患者さんに行っている人生会議、ACPについて、どのように進めておられるのか教えてください。
今出:人生会議は、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)とも呼ばれます。
もしものときに備えて、本人が望む医療やケアを、ご家族や私たち医療者と前もって話し合っておく取り組みです。
私は主に、在宅で過ごす患者さんとともに、これに取り組んできました。
ただ、初めて訪問した日に、こちらから切り出すことはしません。
まずは、信頼していただける関係を築くことを優先します。
人生会議を切り出すのは、2回目の訪問のときです。
そのとき、「人生会議と私の想い」と題した一枚のリーフレットを使って、ご本人とご家族に説明していきます。
これまでに、累計でおよそ100人の方と、この時間を重ねてきました(*3)。

─人生会議で大切にされている考え方を、お聞かせください。
今出:人生会議というと、最期のことを取り決める話だと思われがちです。
しかし私は、そうではないと考えています。
大切なのは、どのように最期を迎えるかという話に終始することではありません。
最期まで、その人がどう生きたいかを一緒に考えていく、そこに人生会議の意味があるのだと思います。
人生会議を始めるのは早いほどよいと考えています。
一度決めたら終わり、というものでもありません。
人の気持ちは変わっていくものですから、何度でも話し合い、その都度確かめ直していくことが大切です。
日本では、死について語ることがまだどこかタブーのように扱われています。
以前、人生会議という言葉を広めようとした啓発のポスターが、表現をめぐって議論を呼び、取り下げられたこともありました。
それほど、この国では最期について話すことが難しいのだと思います。
だからこそ私は、もっと早くから、もっと身近に、人生会議が語られるようになってほしいと願っています。
*3:2026年5月インタビュー時点、今出クリニック調べ
一人の医師では、24時間365日の看取りは支えきれない

─在宅での看取りを地域全体で支える仕組みを築かれたと伺いました。そのきっかけとなった出来事を教えてください。
今出:きっかけは、2005年の開業から10年がたった、2015年の出来事でした。
私が学会の出張で、数日間この地域を離れていたときのことです。
容体が落ち着いていて、まず大丈夫だろうと思っていた在宅の患者さんが、留守のあいだに3人、相次いで亡くなられました。
在宅の看取りは、24時間365日、いつ何が起きるかわかりません。
それを一人の開業医がすべて背負うことには限界があります。
自分が地域を離れれば、患者さんやご家族を心細い思いにさせてしまう。
そのことを、骨身にしみて感じたのです。
─その経験から、仕組みづくりをどのように進められたのか、お聞かせください。
今出:一人で抱えるのではなく、地域全体で看取りを支える仕組みが必要だと考えました。
そこで頼ったのが、北部医療センターです。
かつて私が泌尿器科医長として勤めた与謝の海病院が、名称を改めた病院です。
専門的な治療を担う、この地域の中核病院として、私たち開業医と連携しながら地域の医療を支えてきました。
私はそのセンターで地域医療を担っておられた先生に、相談を持ちかけたのです。
翌年の3月には、「センターから医師を出しましょう」という申し出をいただきました。
私は与謝医師会の代表として、この申し出を形にしていきました。
この仕組みを「在宅看取りサポートシステム」と名づけましたが、実現までには、越えるべき課題が3つありました。
1つ目は、死亡診断をめぐる問題です。
在宅の患者さんが、主治医である私の不在時に亡くなられたとき、誰が死亡を確認し、診断書を書くのか、法律上、はっきりしない部分がありました。
そこで法医学の教授に相談し、「看取りの体制と情報があらかじめ共有されていれば、事故や事件などの外因死でない限り、主治医以外の医師でも死亡診断を行える」と整理をしました。
2つ目は、カルテの共有です。
派遣されてくるセンターの医師が私の患者さんを診るには、それまでの経過がわからなければなりません。
そこで、その医師に今出クリニックの臨時の非常勤医師という立場をとっていただき、カルテを共有できるようにしました。
3つ目は、引き受けてくださる先生方のお気持ちです。
慣れない在宅の看取りに戸惑いはないだろうか、という懸念があったのですが、2016年6月に趣旨を説明する場を設けたところ、先生方全員が快く賛同してくださいました。
─仕組みが動き出してから、地域にどう根づいていったのか、教えてください。
今出:こうして、2016年9月1日に運用が始まりました。
最初の一例は、相談に乗ってくださった地域医療担当の先生が、自ら患者さんのもとへ往診に向かってくださいました。
のちに、当時この地域から選出されていた府議会議員の方が、議会でこの取り組みを取り上げてくださり、京都府の制度として認められるに至りました。
一人では支えきれなかった看取りを地域の力で支える、その第一歩をここから踏み出すことができたのです。
運用を始めてから、まもなく10年になります。
この仕組みは少しずつ地域に根づき、在宅で最期を迎える患者さんとご家族を、後ろから支える土台になってきた手ごたえを感じています。
3本の矢で、本人の想いと家族の負担を設計する

─在宅医療を地域で支えるために、「マイホームミクス」という戦略を掲げておられると伺いました。その3本の矢について教えてください。
今出:「マイホームミクス」は、この宮津・与謝地域で在宅医療を支えるために掲げた、私たちの戦略の名前です。
Miyazu Yosa Home Medical Care Strategy の頭文字をつなげると、「マイホームミクス」になります。
経済政策の「3本の矢」になぞらえた、ささやかな言葉遊びでもあります。
その1本目が、先ほどお話しした人生会議です。
ご本人がどう生きたいかという思いを確かめ、ご家族や医療者と分かち合うことが、すべての出発点になります。
2本目は、多職種による切れ目のない支援です。
医師だけでなく、看護師やケアマネジャー、薬剤師など、さまざまな職種が一人の患者さんを囲みます。
そのために、京都府医師会が推奨する、患者さんの情報を関係者で共有するSNS型のツール「京あんしんネット」を使っています。
そして3本目が、先ほどお話しした在宅看取りサポートシステムによる後方支援です。
─この3本の矢を通じて、何を実現しようとされているのか、お聞かせください。
今出:3本の矢が目指しているのは、突き詰めれば、ひとつのことです。
人は、病気や老いとともに、体の力がどうしても衰えていきます。
そのなかでも、ご本人が満ち足りた気持ちで過ごせること。
そして、ご家族が一人で抱え込みすぎないこと。
この2つを地域全体で設計していくことが、3本の矢の狙いです。
本人の想いと、家族のゆとり。
その両方に目を配れてはじめて、在宅での療養は続けられますし、望む方は自宅で最期を迎えることもできます。
そうした積み重ねの結果として、この地域では、自宅や施設で最期を迎える方の割合が、京都府のなかでも高い水準にあります。
府議会で報告した2021年時点のデータでは、与謝医師会の地域がおよそ42%、京都府全体が31%、全国が27%でした(*4)。
住み慣れた自宅はもちろん、特別養護老人ホームのような「第2の我が家」での看取りも含めた数字です。
*4:本文の割合は「自宅および老人ホームでの死亡」を看取りとした数値(2021年)。全国・京都府の値は、厚生労働省「人口動態統計(確定数)」の〈死亡の場所別〉に基づき、「政府統計ポータル e-Stat」で確認をしたもの。与謝医師会地域(宮津市・伊根町・与謝野町)の値は、与謝医師会が同統計の市区町村別データから独自に集計したもの(2026年5月インタビュー時点、今出クリニック調べ)。
どら焼き3つが繋ぐ、旅立ちの想い

─印象に残っている事例があれば、お聞かせください。
今出:印象に残っている方を、お二人紹介します。
お一人目は、80代の女性です。
進行したがんで積極的な治療が難しくなり、中核病院の緩和ケアを経て、「最期は自宅で過ごしたい」というご本人の思いを受けて、在宅医療に移りました。
遠方で暮らす3人のお子さんが、交代で帰省してその方を支えました。
ご家族はすでに人生会議を済ませていて、本人の願いを叶えたいという思いは一致していました。
ただ、「自宅で看取るところまでできるだろうか」と、不安を口にされるお子さんもいました。
しかし、訪問看護師やケアマネジャーと毎日連携し、状況を細かく分かち合いながら支えるうちに、そのお子さんにも「この体制なら支えていける」と感じていただけるようになったのです。
終末期はご家族に見守られ、自宅で穏やかに看取られました。
旅立たれる前日には、好きな音楽や絵に触れ、穏やかに過ごされたそうです。
お二人目は、80代の男性です。
病気で長く入院し、リハビリを経て、奥さまと暮らすご自宅へ戻られました。
訪問診療を始めたとき、ご本人には、はっきりとした4つの願いがありました。
1つ目は、自宅で最期を迎えること。
2つ目は、入院中ずっと入れていた尿の管(尿道カテーテル)を外すこと。
3つ目は、大好きなお風呂に入ること。
そして4つ目が、大好物のどら焼きを食べることでした。
この管は入院中なかなか外せなかったそうですが、私の泌尿器科での経験も生かすことができ、いくつかの手立てを試して外すことができました。
ご本人はたいそう喜ばれ、この出来事をきっかけに信頼関係を深めることができました。
管が外れたことで、念願のお風呂にも、デイサービスで入れるようになりました。
どら焼きは、糖尿病のため長らく制限されていたのですが、入院を経て血糖の状態も落ち着いていたこともあり、ご本人の強い願いを受けて、「好きなだけ召し上がってください」とお伝えしました。
すると、私が訪問するたびに、大きなどら焼きを3つ、うれしそうに召し上がっているのです。
「先生、これを食べて、とても幸せです」。
そうおっしゃる満ち足りた表情が、今でも忘れられません。
そして終末期は、願いどおりご自宅で、ご家族に見守られて穏やかに旅立たれました。
たかがどら焼き、と思われるかもしれません。
けれど、こうした小さな願いを叶えることが、本人の尊厳ある日々につながっていく。
それもまた、人生会議の大切な一面だと感じています。
─最後に、親の介護や看取りに不安を抱える方へ、メッセージをお願いします。
今出:まずお伝えしたいのは、地元にかかりつけ医を見つけておくことの大切さです。
かかりつけ医がいれば、いざというときに、その人の状況に合わせてすぐに動くことができます。
ふだん定期的に通院していない方も多いと思いますが、たとえば風邪のときでもかまいません。
一度受診して、カルテをつくっておくことをおすすめします。
カルテがあれば、何かあったときにすぐ情報がそろいますし、オンラインで服薬の状況も確認できます。
そして、もし合わないと感じたら、何年か通った先であってもかかりつけ医は変えてかまいません。
心身が弱っていく時期に支えになるのは、信頼できる関係そのものだからです。
なんとなく相性が合う、信頼できると思える先生を見つけることを私はおすすめしています。
まずは身近な一歩から始めていただければと思います。

取材のあいだ、今出院長の語り口は、終始おだやかだった。
泌尿器科を専門として研鑽を積んできた医師が、なぜ高齢者を全体として診る老年内科へ、そして地域の看取りへと歩みを進めたのか。
その答えは、岡山の山あいで過ごした少年期の原風景に静かに根を張っているように思えた。
医療が身近にない土地で、人が心細さを抱える姿。その光景を子どもの頃から見てきた人だからこそ、この地域にあって、人が自分らしく人生のゴールを迎えるための仕組みを、あきらめずに築いてこられたのだろう。
印象に残ったのは、語られる取り組みが、どれも一人の医師の理想だけで完結していないことだった。
一人では24時間365日の看取りを支えきれないと痛感したとき、院長は与謝医師会や北部医療センターと手を携え、この課題を地域全体の仕組みへと作り替えていった。
一人の善意で終わらせず、続いていく形に変える。
その発想が、3本の矢にも、人生会議の地道な積み重ねにも、一貫して流れていた。
一方で、院長が大切にしていたのは、決して大きな話ばかりではなかった。
大好きなどら焼きを3つ、うれしそうに頬張る患者の、満ち足りた表情。
そうした小さな充足感にこそ、その時まで自分らしく生きることの意味が宿るのだと、院長は静かに語った。
仕組みを設計する確かさと、一人ひとりの願いに寄り添うやわらかさ。
その両方を併せ持つ姿に、この地域の在宅医療が長く支えられてきた理由を見た気がした。
「思いやりのある医療を、最期まで」。
この言葉は、理念として掲げられた言葉であると同時に、宮津・与謝の地で積み重ねられてきた、確かな実践の名でもあるのだろう。
今出クリニックについて

| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| クリニック名 | 今出クリニック |
| 院長 | 今出 陽一朗(いまいで よういちろう) |
| クリニック紹介 | 2005年開業。内科・泌尿器科・皮膚科・老年内科の診療を行なっている。高齢者を全体として診る医療と、在宅での療養・看取りの支援を柱に、宮津・与謝地域で地域包括ケアの構築に取り組んできた。理念は「思いやりのある医療」。患者やその家族が、憩いを感じられる場を目指している。 |
| 所在地 |
〒626-0024 京都府宮津市柳縄手325-6 |
| アクセス |
京都丹後鉄道「宮津駅」から徒歩10分。 バス停「京街道」から徒歩1分。駐車場あり。 |
| 電話番号 | 0772-22-2767 |
| 診療時間 |
午前 9:00~12:00(月・火・水・木・金・土) 午後 15:30~18:30(月・火・木・金) ※休診:水曜午後・土曜午後・日曜・祝日。 |
| Webサイト | https://imaide-clinic.com/ |
| ご予約 | 再診は予約可(前日までに電話)。初診の方は電話で相談。 |